本情報
タイトル:技術とは何だろうか 三つの講演
著者:マルティン・ハイデガー
ハイデガーの三つの講演記録を翻訳されたもの。
過去にも翻訳はされているようだが、これは2019年の図書。
テーマ
そのタイトル通り、技術とは何か、という問いに対して、瓶の役割や建てること、住むこととは何か、という例示を元にハイデガーの哲学が述べられている。
感想
時々、近年の技術の進化に対して、疑問を抱くことがある。
この技術の進化は、だれが幸せになるものだろうか?
AIの台頭が様々な業種に革新をもたらす、と声高に叫ばれている一方で、技術の進歩に追いつけない人々は、仕事がなくなる、新しい知識を常に学び続けるように、と急き立てられている印象がある。
また、医療の進歩など、それによって救われる人がいるだろうと思う一方で、世の中が便利になっていくことで、一定の時間でこなす仕事量の水準が上がり、結果として、個人で見たときに幸せになっているのだろうか、と思うこともある。
本書の内容はかなり難しく、一読しただけでは、理解しきれたとは思わない。
ただ、上記の疑問に対しては、本書にある「総駆り立て体制」という言葉がしっくり来た。
現代の技術は、資源を徴用し、取り立てて、ある形として表象される、という行為が連鎖的に駆り立てられているという。
それも、人が物を支配しているのではなく、人も駆り立てられる側として、連鎖の中に組み込まれているから、「総駆り立て体制」と命名されているらしい。
ここは、自分が共感できる論であったと思う。
最後の提言は、なかなか、理解できたと思えないが、ヘルダーリンの「だが、危機のあるところ、救いとなるものもまた育つ」という言葉が引用されており、技術の進歩という人類に対する脅威が含まれる中にも、(ヘルダーリンの言葉が正しいと仮定すれば、)救いが育っているはずだ、という論が語られていた。